2月1日(火) 午前中は自民党東京都連での会合です。

都内23区自民党区議団幹事長会です。都連所属の国会議員の先生方のご挨拶と国政報告、小宮都議会幹事長からは都政報告、高島都連幹事長として参議院選挙、衆議院選挙区の区割りについて報告をさせていただきました。

終了後、都連事務所で事務方との打ち合わせ、中川参議院議員との打ち合わせが続きます。

都庁では各局との打ち合わせ中に元東京都知事石原慎太郎知事のご逝去の一報が届けられました。

2時前にはテレビ局でのご逝去の速報が流され数社のマスコミから取材を受けました。

4期14年間の知事は多くに実績を残されました。4選目の立候補表明を都議会第1回定例会で発言をされ自民党控え室に本会議終了後のご挨拶にお見えになるときに東日本大震災が発生し

都庁を囲む高層ビルが大きく揺れ控室の女性職員など立っている事ができず床に座りこんでいました。知事は「俺が立候補声明をしたから天が怒ったのかな。」そのような言葉を発言されました。

又、常に国政と違い都政は現場を持っている。都民の声をじかに聞き政策に反映できるとも言っていました。

数多くの功績のある知事でした。2016年の東京オリンピック・パラリンピック招致委員会では私も理事として石原知事、森喜朗先生と共に都議会一丸となり招致活動をしました。残念なことに2016年はリオ市に敗れましたが、その努力が2020年開催を導きました。石原知事が力を注ぎ開催された東京オリンピック・パラリンピックとも言えます。

更にディーゼル規制により東京の空が綺麗にする、首都機能の移転反対に努力する、東日本大震災では都知事選にも関わらず連日防災服を着て被災地支援に頑張っていました。そしていち早く被災地のがれき受け入れを決断しました。まだまだ、多くの功績を成し遂げた石原知事でした。そして、何よりも歴代の知事として国政に一番影響力を持っていた知事ではないでしょうか。

萩生田自民党東京都連会長と共にご自宅へ弔問にお伺いしました。

改めて石原慎太郎元知事のご功績に感謝申し上げご冥福をお祈り申し上げます。